2013年 07月 06日
「ふだん」と「たまに」 |
皆様ご存知だとは思いますが、洗濯板というものがあります。
このかつての文明の利器も、今ではそのシェアを電子洗濯機に奪われてしまい、もはや過去の遺産とさえ見られているようなふしもあります。
ですが、このノスタルジックな小道具について先日友人と話をしている中で、「洗濯板はやっぱり面倒くさいけど、たまにやる分にはいい気分転換になるし、案外面白かったりするよね」という話が出ました。
この「たまに」のところに、僕は核心にせまる生活のヒントを得たような気がしたのです。
真に日々の生活を豊かにしてくれるものは手軽さや便利さではなく、そういった目先のものにとらわれない心の余裕だと、僕は常々考えています。
これは「利便性を捨てることで生活観が取り戻せる」といったような、安易単純な言説ではありません。それよりはむしろ、テクノロジーとノスタルジーの両者について、積極的にいいとこ取りをしましょうというアイデアです。
言い換えれば、それは「ふだん」と「たまに」の両方に眼を向ける視野、 そして心のゆとりを持つということです。
どうにも僕には、この国の人々はみな「便利さ」に傾きすぎているような気がしてならないのです。
シビアな時間の中であくせく働くことが要請される社会…けれどもそれゆえに、ひと時の安寧を提供してくれる 「お茶」の時間はよりいっそう、その魅力を増していくのでしょう。
Junki
このかつての文明の利器も、今ではそのシェアを電子洗濯機に奪われてしまい、もはや過去の遺産とさえ見られているようなふしもあります。
ですが、このノスタルジックな小道具について先日友人と話をしている中で、「洗濯板はやっぱり面倒くさいけど、たまにやる分にはいい気分転換になるし、案外面白かったりするよね」という話が出ました。
この「たまに」のところに、僕は核心にせまる生活のヒントを得たような気がしたのです。
真に日々の生活を豊かにしてくれるものは手軽さや便利さではなく、そういった目先のものにとらわれない心の余裕だと、僕は常々考えています。
これは「利便性を捨てることで生活観が取り戻せる」といったような、安易単純な言説ではありません。それよりはむしろ、テクノロジーとノスタルジーの両者について、積極的にいいとこ取りをしましょうというアイデアです。
言い換えれば、それは「ふだん」と「たまに」の両方に眼を向ける視野、 そして心のゆとりを持つということです。
どうにも僕には、この国の人々はみな「便利さ」に傾きすぎているような気がしてならないのです。
シビアな時間の中であくせく働くことが要請される社会…けれどもそれゆえに、ひと時の安寧を提供してくれる 「お茶」の時間はよりいっそう、その魅力を増していくのでしょう。
Junki
by au-dela_des_mers
| 2013-07-06 21:58
| 南部鉄器にまつわるお話