2012年 11月 29日
ネーミングに見る美意識 |
気がつけば短い秋もあっという間に過ぎ、そろそろコートがないと辛い頃合いになってきました。早いところではもう初雪が観測される時期ですね。
ところで、雪に対するものの見方には、日本人特有の美意識が込められていると言われています。このことは、川端康成の『雪国』が日本の美意識を繊細かつ如実に伝えるものとして世界中で広く読まれていることを思い出していただけるとしっくりくるかもしれません。
雪を示す日本語のひとつに「牡丹雪」というものがあります。これは牡丹の花びらのように大きな塊の雪を指して言う言葉だそうです。他にも粉雪や綿雪など、雪を示す日本語は探してみればキリがなさそうですが、雪のあまり降らない地域ではこういった雪のバリエーションは全て「スノウ」という一言に収まってしまいます。
すなわち、雪国の日本人にとっては先に挙げたようなさまざまな雪が降るわけですが、雪に馴染みのない、例えばオーストラリアの都市部に住む人々、彼らの目に映る雪はただ一つ「スノウ」のみということになります。
ネーミングという行為はある物に対しどのような視座から、どれだけの関心を持っているかということを忠実に反映します。先に紹介した牡丹雪というネーミングについても、むろん雪が名札をつけて降ってくるわけではなく、牡丹が日本において和歌や俳句によく詠まれてきた、なじみ深い花であるということ、そして牡丹に対する日本人の愛着が背景にあります。
このようなものの見方はオドゥラ デ メールの鉄器のカラーネーミングにも表れています。例えば、アジュールは日本語で言うところの「青」ですが、映画のラストシーンのような地中海の海を連想させるこの色合いはやはり日本の「青」とは異なるもので、対してシックな雰囲気の黒は「ノワール」ではなく、私たちが鉄器と同様に深く馴染んできた「黒」なのです。
Junki
by au-dela_des_mers
| 2012-11-29 12:43
| 南部鉄器にまつわるお話